昨夜のウオーキング時に、徳島中央公園(旧・徳島城趾)の鷲の門(大手門)まで行くと、櫓が建てられ紅白の布が巻かれていました。

 

阿波踊り

なんでも9日(日)夕方18:00分から、昔ながらの盆踊り(阿波踊り)が行われるとか。

阿波踊りの名手と言われているS氏等が、「蜂須賀祭り」と称して踊るとの事。

 

​阿波踊り

S氏は私の贔屓する有名連G連の連長をされ、その後に別組織G連を作り踊られていました。

そして最近では、「阿呆之介」と云う連を結成され踊られています。

 

その連には我が家の檀那寺のO住職(元・真言宗仁和寺派・総務部長でG寺住職)、先輩で元・高校教員で歴史家(阿波藍商の系譜・戦国武将三好長慶等の研究)のI先生、同級生で徳島文理大学・総合政策学部大学院教授のN先生(元・県議会議員・K市市長)、知人の阿波渦潮会(三味線・渦潮会会主)のF氏等がメンバーなのです。

 

阿波踊りは俗説では、蜂須賀家政公が中国責めで功があり、豊臣秀吉公より播州龍野城より阿波国に移封され阿波国に来て一宮城に入城しました。

 

​阿波踊り

その後、秀吉公の命で徳島に築城をし入城した際に、お祝いとして無礼講になり民衆が踊ったのが所以になっています。

 

​阿波踊り

しかしそれ以前から民・百姓の間では、精霊踊り(盆踊り)が盛んに踊られていたらしいのです。

 

阿波踊りと云う呼び方は昭和に入り、地元の画家H氏が付けたとも云われています。

昔は各町内会ごとに踊られ、「1丁目の端まで行かんかこいこい」とお囃子で云われていたそうです。

 

​阿波踊り

そして阿波踊りを振興しようとの中で、地元紙T新聞のM社長の提案で現在の桟敷制による演舞場が生まれたとも。

 

そしてお囃子もいつか「新町橋まで行かんかこいこい」と云われ出したとも。

 

これは、江戸時代には新町橋・助任橋・福島橋には橋番所が設置され、ここから内側のいわゆる御山下には民・百姓等は入られなかったとの事。

 

助任

また盆踊り(阿波踊り)が盛んになりすぎたので、蜂須賀家では禁止令も度々発令したが民・百姓は止めなかったとも。

 

そして武士(藩士)までが踊っていたとの事です。

現在の阿波踊りは完全にショー化して、どこの踊り連も同じ様な踊り方(スタイル)になっています。

 

石部宅建

その中でも各連が独自性を持たそうと工夫を重ねています。

 

それでも昔からの盆踊りスタイルを継承しているT地区もあります。

Tの盆踊りと云って、粗末な着物を着て赤子を背負いながら、海に向かって「お父う〜早う戻んてこいよ〜」と呼びかけます。

 

昔からT地区は漁師町であったので、その風情が盆踊りに残っているのでしょうか。

 

漁船

9日(日)は果たしてどのような阿波踊りになるのかと、永年観る阿呆を続けている私には楽しみです。

S氏はご病気をされていたともお聞きしていましたが、昨夜のS放送のニュースでお元気な姿が映っていました。

 

門

何よりでございますが、「阿波よしこの」の名手であった故・お鯉さんに負けづ、101歳まで踊り続けて頂きたいと思います。

 

 

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