先日、ウオーキング時に出逢った知人から、「お濠の中に2年ぐらい前から棲み着いていたエイが、この前に取水口から出た所で見掛けましたが、凄く大きくなっていました」との事でした。

 

そう言えば2年程前には取水口の周辺で、直径20cmぐらいのエイが泳いでいたのを思い出しました。

 

多分、稚魚の時に新町川河口付近から福島川・助任川を遡り、旧・徳島城のお濠の取水口から中に入ったものと思われます。

 

その後、お濠に棲み着き、大きく成魚となったので、取水口に設けられた格子枠を出られなくなったのでしょうか。

 

そのエイが昨年は見掛ける事はなかったのです。

 

その知人はつい先日、大きくなったエイを見たとの事でした。

私は別の大きなエイが入って来たのかとも思いましたが、あの格子枠を大きなエイは潜れないのです。

 

なのでやはり以前から棲み着いているエイが、成長したのだと考えました。

 

それから毎晩ウオーキング時に、お濠端から中を覗き込んでいます。

しかしもう1週間以上にもなりますが、未だエイに出逢わないのです。

 

このお濠には各種の魚が住み着いています。

エイ・チヌ・ウナギ・ボラ・・・・等々が姿を見せています。

 

それと先日からお濠端に設置して有る、古くなった木柵を新しく交換していました。

白木丸太造りの柵は真新しく綺麗になっていました。

 

まだ使用可能な古い木柵も残してありますが。

 

そして東北の方角に架かる不浄門(数寄屋橋)も何か磨きでも掛けたのか、夜目にも白くなっていました。

この数寄屋橋は欄干や橋の上部の床板は木製なのですが、下部の橋脚は鉄筋コンクリート製なのです。

 

それを夜間はライトアップしていますが、何故下部も木製にしなかったのかと残念な気持ちです。

京都の嵐山の渡月橋や高知の播磨屋橋みたいなものです。

 

遠くから写真撮影をしたり、眺めると良いのですが。

やはり予算の関係でしょうね。

 

旧・徳島城大手門の鷲の門は、篤志家のO女史が以前に寄贈されたものです。

 

しかし旧・徳島城趾には城郭が建っていないのです。

元々が城山山頂には天守閣は無かったのですが。

 

なので明治期になって写真撮影されたモノを見ると、二の丸に建っていた三重の櫓が、天守閣の替わりなのだとも云われています。

 

昭和20年の徳島空襲で焼け野原になり、旧徳島城の城郭は何にも残っていませんし、残ったものは取り壊されたとか。

 

今では築城当時の遺構はお濠や城郭の石垣のみとなりました。

そのお濠の中に海の魚が住み着いています。

 

汽水域に住む淡水エイなのかどうか判りませんが、早くお目に掛かりたいと思います。

知人によれば、「20cmぐらいのエイが倍の40cm程にも成長していた」とか。

 

毎晩、お濠を覗き込んでいますが、「未だ待ち人現れず」の心境です。

 

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