前回の私の拙いブログ「阿波のオッサンの呟き」にも投稿させて頂きましたが、1月中旬に徳島市S町のF眼科クリニックで左右両眼とも白内障手術を受けました。
そのため少し遅らせ、2月中旬に徳島市民病院で胆嚢摘出腹腔鏡手術を受けました。
生まれて初めての手術でした。
一応昨年の12月には徳島K病院に検査入院し、血液検査・エコー検査、CT検査、MRI検査、造影剤投入3D検査等をしていました。
その検査記録と紹介状を持参し徳島市民病院に行き、再度検査の結果胆嚢に結石があり手術をされた方が良いと思いますがと。
そこで2月14日(水)13:30分に入院しました。
病棟は9Fの9○○部屋で、東側には白鷺大橋・北側には吉野川大橋が見える最高のロケーションの窓際部屋でした。
それから病室に担当の外科医K医師やT大学研修医・麻酔医・看護師長・薬剤師・管理栄養士・看護師が来られ、翌日の手術についての簡単な説明や質問がありました。
手術前検査時にも丁寧な説明を受けておりましたので、よく理解することができました。
翌日8時に看護師が来て、「9時から手術なので手術室に行く8時30分までに着替えておいてください」と、紙パンツと脹脛を締め付ける長い靴下をいただきました。
8時30分に看護師が来て、「今から4Fの手術室まで案内しますので、立会人の方もご一緒にどうぞ」と。
妻と3人でエレベーターで4Fに降りて行きました。
途中で看護師が、「手術室の入り口でお名前と手術の種類を聞かれますからフルネームと手術名をお答えください」と。
4F手術室の入り口に手術着を着た看護師が3名居て、「お名前をフルネームで」と。
また、「今日は何の手術を受けられますか」とも。
そして手術室の中に案内され、「この手術台にこちらを頭にして上向きに寝てください」とのこと。
指示どうりに寝ると手術台が温かいのです。
執刀医の外科医K医師、助手のT大学医学部研修医、麻酔医、看護師長、看護師3名が手術台を囲むように配置につきました。
執刀医のK医師が、「それでは今から手術を行いますので」と。
麻酔医が前日の説明のとうり、「今から点滴で麻酔をします」と。
左腕に差した注射針から血管の中に麻酔薬が流れ落ちたのか、血管が冷たく感じたので私は前日の説明で麻酔医が、「30数える間に麻酔が効きますから」とのことだったので数を数えました。
そして看護師が麻酔液を注入している私の左腕を擦っていました。
数週間後に友人の元・日赤病院の看護師長で手術場専門(20年余り)であったI女史に聞くと、「血管痛の患者がいるから」とのことでした。
また、「手術台が温かいのは手術前だけで、手術が始まると冷たくするのです」とも。
そして私は7まで数えたのは覚えていますが8まで数えたかどうかは判らないのです。
誰かが何かを喋り、私の名前を呼ぶ声がするので目を開けると看護師が、「気が付きましたか」と。
頭がボヤケた感じでしたがK医師が、「気が付きましたか、手術は無事に終わり今はICU(集中治療室)にいます」と。
看護師が、「いまからお部屋に帰りますから着替えますね」と紙オムツを履かせ寝間着を着せてくれました。
その時に妻が、「これが手術で取出した胆石」とプラスチック製の小さな円筒形の容器に入れたモノを見せてくれました。
大きい方の胆石は長さ15mm×幅8mm×厚さ5mmほどのモノで、小さい方の胆石は長さ10mm×幅5mm×厚さ5mmほどのモノでした。
エレベーター前で妻は帰宅し、私は9Fの病室へベッドに乗せられたまま行きました。
手術は約1時間ほどでしたが、ICUで40分間ほど居たことになります。
その日は点滴をしていましたし絶食のままで、尿道から膀胱まで挿し込まれた細いパイプはそのままでした。
夕方にK医師が来られ、「明日から普通食が出ますし歩いてください」と。
そして看護師長・看護師が再々きて、「お変わりありませんか、痛みはありませんか、便は出ましたか、ガスは出ましたか」と。
前日の夕食以降は飲食はしていないので便は出ないしガスも出ないのです。
小便は自然にパイプから排尿しているし。
看護師がきて。「お腹の音を聞かせてくださいね」と聴診器を腹に当てたり、「お腹は張っていませんか、ガスは出ましたか」と。
K医師が再度こられて、「順調に回復していますので」と。
翌日には看護師が排尿パイプを抜いてくれ、点滴もやめてくれました。
そして、「今日から歩いて貰っても結構ですから」と。
なので早速トイレに行き用便をしましたが大小とも空便でした。
そこで70mほどの廊下を往復したり、ぐるっと何周も廻りました。
毎日食後には廊下を何周も何回も往復して歩きました。
なので看護師がいつ脈拍や血圧を測定しても150〜160代の計測値なので看護師が、「いつも血圧は高いのですか」と。
なので私は、「いつもは70〜130の間ですが」と伝えました。
また看護師が、「食事は全部食べましたか」と。
私が、「ご飯は多いので半分残しましたが後は全部食べました、しかし明日から朝食はパン食にして下さい」と頼みました。
またディルームまで行き、雑誌を読んで時間を過ごしました。
新聞は150円で売られていました。
その夜は相部屋(4人)の内の隣の一人が夜中に何度も何度も咳き込み痰が詰まるのです。
その度に看護師がきて痰の吸引装置でガァガァとやるので眠れないのです。
翌日に私の担当看護師に伝えると、「そうですよね、看護師長に相談しますので」と。
昼前に看護師長が来られ、「午後から9Fの端部屋の窓側のベッドが用意できますので替っていただきますから」と。
午後から東側病棟の一番奥の北側の病室の窓側に移動しました。
ベランダの直ぐ下側に吉野川大橋は見え、通行車両が病院の下に潜り込んでくる感じに見えました。
前の部屋よりも一段とロケーションの良い部屋でした。
しかしまたその病室にも腹部の手術をされた患者がいて、夜中に何度も何度もナースコールをするのです。
絶えず、「イテテ、イテテ」と云いナースコールをするのです。
看護師曰く、「○○さん歩いていますか」と。
その方曰く、「お腹が痛くてトイレにも行けないし、歩くなんてできません」と。
なので何の手術か判らないけど、看護師が歩いていますかと聞くぐらいだから大したこともないだろうにと思いました。
翌日、看護師がきて私に「昨夜は眠れましたか」と。
私はK医師から順調なら17日(土)にでも退院できるかもと云われていたので、「土日に何かあれば大変ですので、退院は月曜日にお願いします」と伝えていたので、もう少しの辛抱で退院できるので夜中のナースコールぐらいはイイかと思い辛抱していました。
翌日、隣の患者さんを見掛けましたが私より一回り以上も若い人で驚きました。
その患者は看護師に、「術後に歩かず寝てばかりしていると、腸閉塞を起こしたり傷の治りが遅いですよ」と云われ腹を抑えながら洗面所やトイレへ行っていたのです。
しかし病院食に出てくる煮魚には閉口しましたし、またご飯の量が多いのです。
肉のオカズが出てくるとホッとしましたし朝食はパン食になりました。
オードブルの果物の缶詰め類は美味しく感じました。
なので退院後に缶詰め類(ミカン・モモ)を購入して食しましたが、口当たりが良かったものです。
19日(月)朝食後9:00分に準備をし会計からくる精算書を以て1F会計前で待ちました。
妻と息子が来てくれましたが、10時にやっとこさ精算が終わり帰宅しました。
あれから早くも10日間が過ぎました。
その間にも仕事で事務所に行きましたし、4月に行われる徳島市長選挙に立候補する予定者と一緒に地元I地区を廻りました。
多くの方々から、「はや仕事や後援会活動をしてイケるんですか、体調は大丈夫なんですか」と。
もう胆石が動いての痛さは二度とないので安心なのです。
立候補予定者も、「お元気ですね、各会社や企業の階段やマンションやビルの階段を上り下りする姿や、お車の乗車下車も、また道路を歩く速度や姿勢もお若いし早いですね、感心しましたし今年82歳になられるお方とはとても思えません」とお世辞を言って頂きました。
そんなこんなで生まれて初めて手術しました。
しかしもともと根が健康で元気なのです。
両親やご先祖様に感謝・感謝です。
べーやんは相変わらず元気にしています。
それと私の拙いブログ、「阿波のオッサンの呟き」ですが、なんと先月のアクセス数が15604件となりました。
永年、投稿させて頂きましたが初めて15000件台に乗りました。
以前は毎日投稿していたのですが、ごく最近では前月の主な出来事のみの投稿なのに。
多い時には2月8日(木)2055件
2月12日(月)2340件
2月17日(土)1285件
2月20日(火)2782件
2月22日(木)2308件にもアクセス数が上がっていました。
月一のブログなのにと恐縮していますし、感謝をしています。
ほんとうにありがとうございました。
べーやんは元気にしています。
それと毎日のウオーキングは昼間に切り替えております、
ずっと以前には早朝5時起きして90分間ウオーキングをしていました。
それが29年前の阪神淡路大震災で、夜間20時から90分間に変更していました。
それをつい先日から昼間の14:00分から90分間に変更しております。
しかし足首に2,5kgづつ計5kg、手首に1kgづつ計2kg、合計7kgの重りを装着してのウオーキングは止めました。
何十年間も装着していたのを取り外してのウオーキングは、身体が軽すぎてフワフワした感じで頼りなく感じます。
医師・看護師・薬剤師・管理栄養士曰く、「何十年間もウオーキングされ、飲酒・喫煙をされないのでお元気なのでしょうね」と。
どこかで毛髪が薄くなり、術後に再度髭面(全身麻酔し気管支内に酸素を送る機器を取り付け顔面にテープで張り付け固定するため髭を剃る)の高齢者が徳島中央公園周辺で歩いているのを見掛けたら、お気軽にお声かけをしてください。
べーやんは元気にしています。
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